伊佐庭如矢翁伝承プロジェクト

松山城や道後温泉を守り・育てた地域の偉人を取り上げ伝承します。

伊佐庭如矢翁について

1828年~1907年

伊佐庭如矢

 1828年、温泉郡道後村(現松山市)に町医者・成川国男の三男として生まれました。1844年には阿部家(松山藩家老の用人)の養子となり、1847年には阿部家の長女・射狭(いさ)と結婚します。1856年には現在の松山市一番町で「老楳下塾」を開きました。
 
 1872年に県の吏員となった後、廃城令により取り壊しの危機にあった松山城の公園化を国に要望して実現し、松山城の取り壊しを回避しました。1886年に金刀比羅宮の禰宜を務め、財政再建の実績を残しました。1890年には道後湯之町の初代町長に就任し、道後温泉本館の改築に着手します。その後、道後公園の整備や道後鉄道の整備を行いました。
 
 道後湯之町の町長に就任した際には自らの給料は無給とし、道後温泉本館の改築費用の捻出に充てたりするなど地域愛が強く、自分のためでなく町のためを思う行動力がある人物でありました。

 

当プロジェクトについて

 
 

 

 令和5年度の松山YEGでは「偉人伝承事業」として、松山の発展に貢献した偉人を取り上げ、その功績や意志を学び、市民に伝えていく事業を企画しました。松山の魅力に気付き、市内外へ発信していくこと、また10年後、100年後の地域の発展に思いを巡らせてもらうことを狙いとしています。

 当事業では、地域経済を支える貴重な観光資源として活用され、今日までも地域の宝として松山市民に愛されている松山城や道後温泉を守り・育てた「伊佐庭如矢(いさにわゆきや)」翁を取り上げ、その功績や意志を市民に啓蒙するプロジェクトを実施し、様々な取り組みを行いました。

子どもガイドの実施

子どもガイド体験
 
令和5年7月30日・8月19日実施

 

 当事業最初の取り組みとして、次代の地域を担う子どもたちに伊佐庭如矢翁の功績や志を知ってもらおうという企画です。7月と8月に2度実施し、延べ24名の子どもたちに参加頂きました。

 まず前半に松山観光ボランティアガイドさんと一緒に道後エリアを散策、その途中で如矢翁ゆかりのポイントを巡ります。
 
 後半は子規記念博物館内の会議室での座学を実施。松本啓治先生(元坂の上の雲ミュージアム総館長)にお越し頂いて、如矢翁の生い立ちや人物像、功績などについて講義して頂きました。
 
 参加した子どもたちからは「(如矢翁は)意思の強い人なんだと思った」「町のためを思い行動力がある人だと思った」などの声が聞かれました。
 
 

子どもガイド~実践編~

 

令和6年3月2日実施

 
 

 夏に実施した「子どもガイド体験」に参加して如矢翁について学んだ地域の子どもたちを中心に15名が、今度は立場を変えて伊佐庭如矢翁の語り部となる「実践編」を行いました。自らが学んだことを人前で話す機会を提供することで、シビックプライドの醸成を図ることも目的としています。
 
 この日、松山市で開催された四国ブロックYEG交流事業(主催:四国ブロックYEG連合会)の中で、四国各地から参加された総勢56名のYEG会員を前に子どもたちが如矢翁の語り部に挑戦。①伊佐庭如矢翁像前(道後温泉本館横) ②道後温泉駅前 ③伊佐庭如矢翁石碑(ふなや横)の三か所で、大人たちに対して偉人の功績や想いを語り、クイズも交えながらガイドしました。
 
 参加した子供達からは「最初は緊張したけど、楽しかったです。」「YEGっていうのが何かまだわからないけど、大人人たちが松山のことを知って、僕もそれを知って、楽しく笑顔で過ごせてよかった。」などの感想が聞かれました。また保護者の方からも、「人前で話すこと、チームで協力すること、松山についての知識を深める貴重な体験でき、子供もとても楽しかったようです。また参加したいです。」との声を頂きました。

語り部アーカイブ動画の制作

 当プロジェクトを推進するにあたり、伊佐庭如矢翁について詳しくお話をして頂ける"語り部"を探しておりましたが、有識者の方が非常に少ないという現実に直面しました。
 
 そのような中、松本啓治先生(元坂の雲の上ミュージアム総館長)と出会い、今回のプロジェクト実施にあたって必要な如矢翁についての情報を数多く提供頂き、子どもガイド体験では子どもたちに対して如矢翁についての講義も行って頂きました。
 
 私たちはこうした如矢翁の"語り部"のお話を映像に収め、市民に広く、そして次代を担う方たちへ受け継いでいくことが必要であると考え、当プロジェクトの一環として「語り部アーカイブ動画」(当ページ上部の動画)を制作しました。